Go To U.S.A.

New Orleans・New York・Boston
Las Vegas・San Francisco・Monterey・Carmel
<< ジャクソン広場&セントルイス大聖堂 | main | ポンタルバアパート >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - |
アンドリュー・ジャクソン
Andrew Jackson

庶民から出た初めての大統領として知られる第7代合衆国大統領ジャクソン(在任1829〜1837)は、ニューオーリンズをイギリスから守った英雄だ。ひょろりとした長身に白い髪、長い眉毛、飾り気のないざっくばらんな性格で大衆から愛され、20ドル紙幣の肖像にもなっている。


そのサクセスストーリー
ジャクソンは、サウスカロライナの貧しいアイルランド移民の家に育ち、まともに学校へ行ったことはないという。弱冠13歳でアメリカ独立戦争に参加して負傷。ふたりの兄も戦死して、孤児となる。

やがて独学で弁護士になり、検事、テネシー州上院議員、裁判官などを歴任した。45歳のときにイギリスと戦争が始まると再び従軍。1815年のニューオーリンズ戦争で大勝利を収め、指揮を執った彼の名は一気に全国に知れ渡った。

これをきっかけに再び政界入りをしたジャクソンは1828年、ついに大統領の座を射止める。

大統領就任当初から彼は大衆にとても人気があった。あけっぴろげな性格そのままにホワイトハウス内を開放し、就任式の見物を終えた市民がどっとなだれ込んで収拾がつかなくなったというエピソードもある。

常に庶民と触れ合い、その声に耳を傾けることを大切にした。後にジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれる時代の幕開けである。


典型的なアメリカン・ヒーロー
ジャクソンは酒ろギャンブルが好きで、超タカ派。ニューオーリンズ戦争のほかにも数々の武勇伝を残している。ニューオーリンズのジャクソン広場をはじめとして南部各地にジャクソン・・・と付く地名が多いのはこのためだ。丸太小屋で生まれ、独学で知識と技術を身につけ、武勇の誉れ高く、商才にも恵まれ、金持ちの娘と結婚し、大統領になっても気取らない・・・彼は、アメリカ人好みの英雄の条件をすべて満たしているのだ。


白人のための民主主義
大統領になってからのジャクソンは圧倒的な人気をバックに内政、外交両面で強力なリーダーシップを発揮。労働者の待遇改善や公立学校の普及などの政策を推し進めていったが、なかにはとんでもなく強引なものもあった。

特に忘れてならないのが先住民に対する政策だ。各地で白人入植者との争いが絶えなかった先住民を、すべてミシシッピ川より西に移動させるのが「人道的かつ平和的な解決策」として、先住民強制移住法を制定。これに応じなかったフロリダのセミノール族との間でセミノール戦争が起こり、双方に多大な犠牲者が出た。

またオクラホマに追い立てられたチェロキー族が、寒さと飢えによって4000人も犠牲になった涙のトレイル(※)の悲劇もよく知られている。

彼はまた、黒人奴隷に対する弾圧も厳しかった。一部の黒人は耐えかねて先住民居留地に逃げ込み、セミノール戦争を先住民とともに戦ったと言われる。

ジャクソンのこのような政策は、プランテーションを広げるために土地が欲しかった南部の圧力によるものだが、彼自身の白人優越意識もまた否定できない(ジャクソンも農園主であった)。


ニューオーリンズ戦争
ニューオーリンズ戦争は、1812年から足かけ3年にわたる米英戦争のエピローグである。1815年1月8日、ジャクソン率いるアメリカ軍はニューオーリンズの南に2重3重の防衛線を張り、港から侵入してきたイギリス軍を見事に撃退。このときの死傷者はイギリス側が3326名、アメリカ側はわずか52名という快挙で、ジャクソンは一夜にして南部の英雄となった。

ところがこの米英戦争、実は2週間も前に終わっていた。通信手段が発達していなかった頃のことで、終戦の報が届くのが間に合わなかったのだ。


オーケー!!
「OK」の語源について、All Correct を Oll Korrect と発音どおりにつづり、略したものではないかという説がある。南部のいなか者で、ろくに学校に行かなかったジャクソン大統領が、スペルを間違えたのが始まりだという。また一説では、ジャクソンの跡を継いで大統領に就任したバン・ビューレンの支持母体 Old Kinderhook Club が語源だともいわれる。いずれにしてもこの時代のアメリカで生まれた言葉なのは確かなようだ。


涙のトレイル
ナッチェス・トレース・パークウェイは、コルバートフェリーの北でデネシー川を渡るとすぐ、アラバマ地方道14号線と交差する。この道が、かつて先住民がミシシッピ川より西へ強制移住させられた際、おもにチェロキー族が通った「涙のトレイル」だ。

1838年、ほとんど着の身着のまま追い出され、食料もろくになくテネシー川を下っていた一行は、干ばつで川の水位が下がってボートが航行できなくなったため、テネシー州チャタヌーガからアラバマ州ウォータールーまでを歩かされることになった。このとき、寒さと飢えで多くの先住民が途中で息絶えたのだ。一連の移住によって、約1万7000人のチェロキー族のうち約4000人が犠牲になったといわれる。

現在このトレイルでは、毎年1回、全国から約9万人のライダーが集まって、チャタヌーガからウォータールーまでを走り抜けるメモリアルライドを行っている。


─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 04:15 | comments(0) | trackbacks(1) |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | 04:15 | - | - |









http://scw.jugem.jp/trackback/71
カステラ
 カステラの語源については,スペインの古名“カスティーリャ”から来たという説が一般的ですが,「カステラの歴史」についてよくまとめられているサイトがありました。  語源論というのは研究していくと面白いもので,“カンガルー”という言葉はアボリジニの
| 「麻衣をもっと」 | 2005/10/16 10:05 AM |
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
● my photo stream ●


アメリカ南部―大国の内なる異郷
アメリカ南部―大国の内なる異郷 (JUGEMレビュー »)
ジェームス・M. バーダマン, James M. Vardaman, 森本 豊富
わが心のディープサウス
わが心のディープサウス (JUGEMレビュー »)
ジェームス・M・バーダマン, スティーブ・ガードナー, 森本 豊富

※ブログ内の記事の一部は、上記の本のほか、講談社刊『クロニック世界全史』、地球の歩き方『アメリカ』を参考・引用させていただいています。




●For Mobile●
キーワード:






Copyright(C) 2002-2014 SCHAZZIE All rights reserved.


このページの先頭へ