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アケーディアンの歴史
彼らの祖先が最初に新大陸に渡ったのは1604年、有名なピルグリム・ファーザースに先立つこと16年のことだ。当時のフランスは、いわゆるアンシャン・レジームの時代。強固な身分制度のために下層の農民たちは苦しい生活を強いられていた。そんな本国を飛び出した彼らは、到達した土地をル・アカディー L'Acadie と呼んだ。これは、ギリシア神話のなかに出てくるパラダイスの名から来ている。そして、その住人という意味で、自分たちをアケーディアン Acadien と称したわけだ。

しかし、そこがパラダイスであった時期は長くは続かなかった。現在ではカナダのノバスコシア(ニュースコットランドの意味)にあたる地方は、その名の示すとおり、その後イギリスの植民地となる。1730年ごろからイギリスの締め付けが厳しくなった。英語を話し、イギリス国教会を侵攻する支配者のもと、フランス語でカトリックのアケーディアンたちは歓迎されざる存在だったわけだ。そして1755年、英仏戦争のあおりを受け、約6000人のアケーディアンが海外へと追放された。家族は引き離され、半数以上が命を落とした。ある者はフランス本国へ帰った。しかし、言葉や習慣が少しずつ変化していた彼らは、もはやフランス人ではなくアケーディアンだった。本国でも受け入れられなかった彼らは、新大陸に引き返すことになる。一方、ノバスコシアに残った者たちは、翌春イギリス人に虐殺されてしまった。こうして、ノバスコシアのアケーディアンは、1758年までにほとんど消滅してしまった。

生き残ったアケーディアンが流浪の末にたどり着いたのは、ルイジアナだった。1764年当時のルイジアナはスペイン領だったが、スペインの植民地経営は緩やかなもので、ノバスコシアで漁をしていた者も多かったアケーディアンは、漁師としてこの地に入っていった。そしてこの土地をアカディアーナと呼ぶようになる。ル・アカディアーナの佳き日々は子孫代々語り継がれ、苦しいときでも彼らの心のよりどころとなっている。

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 01:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
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※ブログ内の記事の一部は、上記の本のほか、講談社刊『クロニック世界全史』、地球の歩き方『アメリカ』を参考・引用させていただいています。




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