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独立戦争と新国家
ボストンの虐殺

1770年3月、ある寒い日のボストン港で事件は始まった。イギリス兵数名が護衛のために立っていた。植民地人の一団が彼らを罵倒しながら雪玉を投げつけ始めた。群集が群がり、その中にクリスパス・アタックスと言う名の、若い頃奴隷の身分から逃れて水兵になったものもいた。アタックスや植民地人たちがボストン港に集って、そこで何をしたのか詳しい事実はわからない。しかし、ある時点でイギリス兵が発砲し、アタックスを含む5人の植民地人を殺し、8人に傷を負わせた。これが「ボストンの虐殺」と呼ばれる事件である。


ボストン茶会事件

この「虐殺」のニュースは植民地全体に衝撃を与えた。このおかげでイギリスは、いくつかの税法を取り下げたりもした。しばらくは何も起こらなかったが、やがて新しいイギリス政府はイギリスのある紅茶会社に、誰よりも安い値段で植民地人に販売できるという不当な権益を与えた。1773年12月、これを阻止するためにソフィーのボストン市民がインディアンに変装して、この会社の紅茶がいっぱいつまった箱をボストン港に投げ込んだのだ。植民地人たちは「ボストン茶会」を開いたのだと冗談を言った。

イギリスは怒り、植民地が紅茶の代金を払うまでボストン港を閉鎖。また。マサチューセッツのほかの権利をいくつか奪った。

各地の植民地人は再びショックを受け、マサチューセッツへ助けを送った。彼らはまた次に何をすべきかを話し合うために、フィラデルフィアに指導者を送った。1774年9月のこの会合は大陸会議と呼ばれる。この大陸会議では、植民地人たちを怒らせた多くの条例をイギリスが撤回するまで、イギリスの製品を買わないことを決議する。植民地人たちは印紙税法の撤回とボストン港の再開を望んでいた。彼らはイギリス兵たちに食料と住居を与えることにうんざりしており、自分たちは英国議会に意見を言えず、代表も遅れないのだから、議会から課税されるいわれはないと感じていた。「代表権なければ課税なし」という叫びが植民地を駆け抜けた。

ボストン茶会事件
イギリス人入植者は紅茶を飲んでいたが、この事件以後、手に入りにくくなり、コーヒーを飲むようになった。紅茶に近い薄味の「アメリカン・コーヒー」の始まりである。



世界中に鳴り響いた銃声

1775年4月、植民地人たちが貯蔵していた武器を取り上げるために、イギリスの軍隊がマサチューセッツの町、コンコードに派遣された。しかし、ポール・リビアがマサチューセッツの田舎道を馬で走って、植民地人たちにイギリス軍の接近をふれて回った。

ミニットマンと呼ばれる植民地人の一団が、レキシントンの町でイギリス兵に立ち向かった。彼らは数分(ミニッツ)で戦う準備ができたのでこう呼ばれたのだ。銃が発射され、8人の植民地人が殺された。イギリス軍の主部隊はコンコードに向って進軍し続けていた。

イギリス兵の大半がコンコードで武器庫を探索している間に、ミニットマンは橋を守るために残ったイギリス軍の小部隊を攻撃して追い散らした。コンコードのイギリス軍は、大量の武器を見つけることができずにボストンへと引き返した。その道すがら、道端の木や壁に隠れ、怒りに満ちた植民地人たちの発砲を四方から受け続けた。この日、イギリス軍に273人、植民地人に90人の死傷者が出た。アメリカ独立戦争の始まりである。

ポール・リビア
アメリカ独立戦争最初のヒーローとなった工芸職人。フランス系移民の子で、熱心な愛国派だった。民兵士官でもあり、ボストン茶会事件にも参加した。

1775年4月18日、英軍の動きを見張っていたリビアは、英軍のコンコードへの進撃を知ると、ボストンからレキシントン、さらにコンコードまで馬を駆って暗く寒い夜道を飛ばし、英軍の襲撃を触れ回った。

700人の英軍をレキシントンで待ち構えていたのは、わずか77人の植民地の民兵(ミニットマン)で、夜明けの空に銃声が響き、これが独立戦争の始まりとなった。この英雄的行為はロングフェローの物語詩「疾駆するポール・リビア」Paul Revere's Ride によって描かれ、建国神話の1つとなった。



今やアメリカ人

コンコードとレキシントンでの戦いの後では、植民地人たちをイギリス人というより、アメリカ人として考えることができるだろう。マサチューセッツでの戦いの1ヵ月後、フィラデルフィアで2回目の大陸会議が開かれた。ジョージ・ワシントンが大陸軍総司令官に指名され、ボストンを助けるために送られた。彼の到着前、イギリス軍とアメリカ軍は再びバンカーヒルで戦っていた。その際ミニットマンには十分な弾薬がなかったため、ある指揮官は彼らに「相手の白目が見えるまでは撃つな」と命令した。こんな状態でも、訓練を受けていないミニットマンたちが、はるかに熟練したイギリス兵たちによる2度にわたる攻撃を持ちこたえ、負けたのは3度目、弾薬が完全に尽きた時だった。

カナダやサウスカロライナでも戦いが行われていた。戦いがあまりに多かったので、ジョージ3世はもっと軍隊を送ろうとしたほどだ。多くのアメリカ人はますますトマス・ペインという男の言葉に賛同するようになる。「殺されし者の血は叫ぶ、今こそ決別のとき」。ペインは2、3年前にイギリスから植民地に来たばかりだったが、イギリスと決別するための先導者となった。「コモン・センス」という有名な小冊子の中で、彼は、イギリスのような小さな国が北アメリカのような大陸を所有することがいかにばかげていることか、と指摘した。それはまるで月が地球を所有しようとするようなものだと。

自然界では、もとの惑星より大きな衛星はあり得ない。イギリスとアメリカもその関係において、自然の秩序に逆行しており、それぞれ違う体系に属することは明らかなのだ。



独立宣言

第二回大陸会議のバージニア代表が、アメリカ独立を訴えた最初の人だった。バージニアの準備が整っていたことが重要だったのである。最初にでき、またいちばん大きい植民地であるバージニアが独立を求めたので、強く、信頼できる表明となったのである。また、別のバージニア人、トマス・ジェファソンを代表とするグループは、独立する理由を書くように求められた。他の大きな植民地から来た、ペンシルベニアのベンジャミン・フランクリンや、マサチューセッツのジョン・アダムズといった人たちが彼を助けた。

彼らが書いたのが独立宣言である。自由の歴史の中でも有名な文書で、今でも世界中で引用されている。その宣言は、すべての人民は誰にも奪えない権利を持っているということを言明している。

われわれは、次のことが自明の理であると信ずる。すべての人は平等に創られ、創造主によって一定の奪われることのない権利を与えられていること。その中には生命、自由、降伏の追求が含まれていること。

この宣言は1776年7月4日に全会一致で採択された。



新しい旗

新しい国が誕生したので、新しい国旗が必要になった。良いときにも悪いときにも植民地軍によって掲げられていくのだ。

最初の国旗はベッツィ・ロスによって作られたという話がある。彼女はフィラデルフィアに住んで、洋服を作っていた。ジョージ・ワシントンの服も作っていたかもしれない。彼が彼女に新しい旗の作製を頼んだと言われている。

星とストライプの案は彼が出し、その他は彼女が加えたのかもしれない。彼女は13の星を濃い青の上に縫い付けた。1776年にあった植民地のそれぞれに1つずつだった。そして、新しい局ミンチが増えるたびに別の星が縫い足されるようにした。そして彼女は、1776年にあった植民地の数がいつまでもわかるように、13枚の赤と白の細長い布を縫い付けた。

この話が真実かどうかはわからないが、13の赤と白のストライプと濃い青を背景にした13の星が、新しいアメリカ合衆国の最初の旗となったことは確かである。


●自由の鐘
1776年7月8日、フィラデルフィアで独立宣言が朗読されたときに鳴らされた鐘。1846年、ワシントンの生誕記念日に鳴らしたときに割れ目が入り、それ以来、鳴らされなくなった。



国歌「星条旗」

「星条旗」The Star-Spangled Banner の作詞をしたのはフランシス・スコット・キーである。対英戦争(1812-15)のさなかの1814年、キーは、捕虜となった友人の医師の解放を嘆願しようとして、アメリカ軍の要塞攻撃のためにボルチモア湾に集結した英海軍の旗艦に乗り込んだ。しかし、英海軍による総攻撃が始まり、キーは敵船上で夜を明かす。

早朝、見方の要塞はかなくしてしまったと思いながら眺めると、朝もやの中で星条旗がはためいたのを見て感動。歌詞はこのときの感動を書きとめたもので、まsない飛び交う砲弾の音が聞こえるようだ。メロディーには18世紀イギリスのもので、当時アメリカでもよく知られていた「天国のアナクレオンへ」を当てた。「星条旗」は長い間国歌同様に歌われてきたが、正式に国歌として連邦議会で承認されたのは1931年のことである。


─(参考:『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』/ジェームス・M.バーダマン, 村田 薫(編))

| schazzie | [情]Boston | 04:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
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