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アメリカ南部10州の基礎知識
どの州が南部に入るかというくくり方にはいろいろあるが、ここでは南北戦争で南軍側についた州を基本とし、リゾートの色合いの強いフロリダ、西部に近いテキサスを除き、ケンタッキーを加えた10州を南部とする。(※データは2003年秋〜冬の時点でのもの)


ルイジアナ州 Louisiana
・州都:バトンルージュ Baton Rouge
・最大の都市と人口:ニューオーリンズ New Orleans(約48万4700人)
・州のニックネーム:ペリカン州 Pelican State
・同州出身の有名人:ルイ・アームストロング、リリアン・ヘルマン、トルーマン・カポーティ

ミシシッピ川がメキシコ湾に注ぐ河口にあるのがルイジアナ州。その河口よりやや内陸に位置するニューオーリンズは、アメリカとは思えない不思議でエキゾチックな町。建築、音楽、料理など独特のエレメントが、世界中から多くの観光客を惹きつけている。ルイジアナ州民は特にお祭り好きで、毎年2月頃に行われるマルディグラは、リオのカーニバルに負けないくらい町が熱狂する。


ミシシッピ州 Mississippi
・州都:ジャクソン Jackson
・最大の都市と人口:ジャクソン Jackson(約18万4300人)
・州のニックネーム:マグノリア州 Magnolia State(マグノリアはモクレンやタイサンボクなどの総称で、南部を象徴する花)
・同州出身の有名人:テネシー・ウィリアムズ、エルビス・プレスリー、B.B.キング

アメリカの大動脈であるミシシッピ川が西の州境となっている。ブルース発祥の地ミシシッピデルタ、プレスリーの生まれた町トゥペロ、南部らしい大邸宅が点在するナッチェスなどに加え、近年成長著しいのがメキシコ湾に面したピロクシ。美しい海岸線にカジノが立ち並び、ビーチとゲーミングが一度に楽しめるリゾートだ。


アラバマ州 Alabama
・州都:モントゴメリー Montgomery
・最大の都市と人口:バーミンガム Birmingham(約24万2800人)
・州のニックネーム:イエローハマー州 Yellowhammer State(イエローハマーは「キアオジ」という鳥)
・同州出身の有名人:ハンク・アーロン、ナット・キング・コール、ヘレン・ケラー、ハーパー・リー、ロバート・R・マキャモン

公民権運動で知られる州都モントゴメリー、宇宙基地の町ハンツビル、“ブルースの父”ハンディの生家があるフローレンス、古き良き南部の面影を残すモービルなど、個性に富んだ町が点在する。「サザンホスピタリティ」を感じるならこの州、という人は多い。


アーカンソー州 Arkansas
・州都:リトルロック Little Rock
・最大の都市と人口:リトルロック Little Rock(約18万3100人)
・州のニックネーム:大自然の州 Nature State
・同州出身の有名人:ビル・クリントン、ダグラス・マッカーサー

州の知名度を一気に高めたのは、第42代大統領クリントン。州都リトルロックは彼が州知事として過ごした町。お隣のホットスプリングスはアメリカ版湯治場。5つの国立公園があり、南部でも有数の自然豊かな州。


テネシー州 Tennessee
・州都:ナッシュビル Nashville
・最大の都市と人口:メンフィス Memphis(約65万人)
・州のニックネーム:ボランティア州 Volunteer State
・同州出身の有名人:アレサ・フランクリン、ドリー・パートン、ジェームス・M・バーダマン

ブルースとロックンロールの聖地メンフィス、カントリー音楽の故郷ナッシュビルなど、全米でも有数の音楽の都を抱える州。自然にも恵まれ、グレートスモーキー・マウンテンズ国立公園、チャタヌーガ郊外の洞窟や岩の庭園といった大自然が造り上げた景観は必見。


ケンタッキー州 Kentucky
・州都:フランクフォート Frankfort
・最大の都市と人口:ルイビル Louisville(約25万6200人)
・州のニックネーム:ブルーグラス州 Bluegrass State(ブルーグラスはイチゴツナギ属の草)
・同州出身の有名人:エイブラハム・リンカーン、トーマス・エジソン、モハメド・アリ

ケンタッキーといえばバーボン、ダービー、そしてフライドチキンでおなじみ。競走馬の牧場はダービーが開催されるルイビルよりも、ケンタッキー第2の都市レキシントンに多い。フォスターの名曲「懐かしきケンタッキーの我が家」が生まれた町、バーズタウンも見逃せない。


ジョージア州 Georgia
・州都:アトランタ Atlanta
・最大の都市と人口:アトランタ Atlanta(約42万3400人)
・州のニックネーム:桃の州 Peach State
・同州出身の有名人:ジミー・カーター、マーティン・ルーサー・キング牧師、マーガレット・ミッチェル、ジュリア・ロバーツ

ジョージア州の州都であり、南部最大の都市圏がアトランタ。映画『風と共に去りぬ』で知られる都市だが、現在のアトランタは純然たるビジネスシティ。大西洋に近いサバナ(『真夜中のサヴァナ』の舞台)は、“ガーデンシティ”と呼ばれるロマンティックな雰囲気の町。


サウスカロライナ州 South Carolina
・州都:コロンビア Columbia
・最大の都市と人口:コロンビア Columbia(約11万6300人)
・州のニックネーム:パルメット州 Palmetto State(パルメットはパルメットヤシという樹木のこと)
・同州出身の有名人:アンドリュー・ジャクソン

大西洋岸に位置するチャールストンは古き良き南部の雰囲気と、南北戦争の歴史の双方を一度に堪能できる町。町もこぢんまりとして歩きやすいせいか、全米からの観光客でいつもにぎわっている。


ノースカロライナ州 North Carolina
・州都:ローリー Raleigh
・最大の都市と人口:シャーロット Charlotte(約54万800人)
・州のニックネーム:ターヒール州 Tarheel State(タールはノースカロライナが植民地時代の主要輸出産物)
・同州出身の有名人:オー・ヘンリー、トマス・ウルフ

テネシー州との州境に位置するグレートスモーキー・マウンテンズ国立公園は、全米一来訪者数の多い国立公園。緑が深く鮮やかで、紅葉時はまさに絶景。その東に位置するアッシュビルは、好条件が揃った、全米でも住むのに理想的な町のひとつ。


バージニア州 Virginia
・州都:リッチモンド Richmond
・最大の都市と人口:バージニアビーチ Virginia Beach(約42万5300人)
・州のニックネーム:大統領の母国 Mother of Presidents
・同州出身の有名人:ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファソン、ロバート・E・リー

首都ワシントンDCのすぐ南に位置するバージニア州は、アメリカの歴史とともに歩んできた州。イギリス植民地時代がそっくり残されたウィリアムズバーグ、南北戦争時、南軍の本部だった州都リッチモンドなど、アメリカ史を知るにはうってつけ。6人の大統領を出した州としても知られる。


─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
オールド・ブラック・フォスター
アラバマ・ジョーは妹からの手紙を胸ポケットに押し込むと、愛用のバンジョーをひっつかみ、着の身着のまま、駅馬車に飛び乗った。1833年、夏の盛りのことである。

ニューオーリンズで流行り始めた得体の知れない疫病のことは、風の噂で聞きかじっており、多少、胸のざわつく思いに駆られてはいたものの、まさか自分の身内にまで、その粘っこい触手が届こうなどとは、夢にも思っていなかった。手紙は、ハッチソンの危篤を知らせるものだった。この頑強な蹄鉄打ちは、ジョーの長年の親友であり、なおかつ、最愛の妹スザンナの夫でもあった。

ジョーとスザンナは、幼くして両親と死に別れ、ペンキ屋を営む叔父の家に引き取られた。ナポレオンが手放したばかりのルイジアナには、東海岸からの入植者が引きも切らず、家屋や商店が雨後の筍のように増えていった。叔父の店は繁盛し、ふたりは綿にくるまれた宝石のように育った。ジョーは音楽が得意だった。スザンナは兄の弾くバンジョーが好きだった。彼女はバンジョーに「ゲップ」という名を付けた。フランス語で「すずめばち」の意味である。

成人したジョーはアラバマで楽士の職を得、スザンナは幼なじみのハッチソンと一緒になった。結婚式でジョーとゲップは「ペンキ屋の娘」という馬鹿げたコントを奏で、新郎の背中に縋り付いたスザンナは笑いのあまり涙を流し、その後、本気で泣いた。

ニューオーリンズまでの旅程は、いつもに増して、厳しいものだった。一晩中降っちゃ、翌日はぎんぎらだ、とジョーは歌っている。死にそうなほどの凍てつきの最中にも、しかし、ジョーは不平ひとつ漏らさず、明るく歌って憂さを晴らした。ハッチソンは勿論、妹の心労を思い、せめて音だけでも届けとばかり、膝のバンジョーを掻き鳴らした。泣くんじゃない、とジョーは歌っている。もうすぐ俺がゲップと一緒にルイジアナに着くから、泣くんじゃないよ、と。

ミシシッピ下流は酷いことになっていた。コレラはこの河に沿って南進し、最果ての街ニューオーリンズを暫しの滞留地に選んだのだ。これにマラリアが重なり、この1年に1万人が死んでいた。

ペンキ屋の叔父は西に非難していた。ハッチソンはひと月前に身罷っていた。スザンナの行方は知れなかった。ジョーはバンジョーを鳴らしながら荒廃した街をさまよった。どこも、ひどい臭いがした。フレンチクオーターを歩いているとき、弦が1本切れ、ジョーはぞっとした。他の南部人同様、迷信深いたちだったのだ。おお、スザンナ、とジョーは歌った。お前に会えなけりゃ、俺をここに埋めてもらうぜ。コレラの街で、俺ぁそのまま土んなる。

しかし、スザンナの姿を見た、という黒人人足の話を聞き、ジョーは立ち上がった。マラリアにかかった叔父を支え、ペンキの缶を馬車に積み込んでいた、という。西へ向かうのだ。ゲップも四弦のテナー・バンジョーとして生まれ変わった。メキシコからの独立を巡りきな臭いテキサスを避け、ジョーとゲップは北東を目指した。

荒野でひとり眠るとき、ジョーはしばしば、風を受けたゲップがひとりでに「おお、スザンナ」を奏でるのを聞いた。ピューマもコヨーテも、寄り付かなかった。オレゴン入植者の幌馬車が砂塵を蹴立てて通り過ぎた。彼らの野営地でジョーは路銀を稼いだ。そして10年近く、広大なルイジアナの地を転々と、妹の頼りを訊ね回った。それらしい噂を聞くたび足を伸ばしたが、期待はいつも、サボテンの花のように萎んだ。ある朝起きると、ゲップのボディに貼られた鼓皮が見事に破れていた。ジョーには、どこか見知らぬ土地で、スザンナが亡くなったことが分かった。

40過ぎにして世捨て人のようになったジョーを拾ったのは、さらに西を目指すネイティブ・アメリカンの隊列だった。強制移住法によって、多くの部族が、ミシシッピ以西に流れ込んでいた。

「そのバンジョー、壊れてるじゃないか。貸してみな」

部族の料理番は、鮮やかな手つきでゲップの皮を張り替えた。見やりながら、ジョーは訊ねた。「それ、まさか白人の頭・・・」
「違うよ、狸さ」料理番は笑って答えた。「俺たちはチェロキーだぜ。あんたたちといちばんうまくやってた文明人だ。戦ったのも、法廷だけさ。それで、負けた。だから、こっち来たんだ」

狸皮を張られたゲップは、以前にも増して明るい音色がした。ただ余韻に、かすかに泣き声のようなものが混じっていた。その音を聞くうち、ふとジョーは、馬鹿げたことだが、この狸はスザンナかもしんねえ、と思うようになった。ジョーは髭を剃った。これ以上、妹に情けねえ姿見せられねえ。ジョーは長老に礼を言い、買い上げられたばかりの新天地カリフォルニアを目指した。泣くのじゃない、とジョーは歌った。自分に語り聞かせるように、目いっぱい明るく。

シェラネバダの麓で人形劇団に加わって3年目に、大騒ぎが起きた。近所の農園の用水路で砂金が採れる、というのだ。最初は半信半疑だった村人も、農園主が頑なに立ち入りを禁ずるのを見て、何かある、と睨んだ。大統領が金鉱発見を好評するや、この年の末尾をとってフォーティナイナーズと呼ばれる8万人の山師が、世界中から集まった。村は無法地帯と化し、農園主の息子は殺された。

ジョーは無関心だった。バンジョーが弾ければそれでよかった。

ところが酔った誰かが割れた酒瓶を投げつけ、狸皮の表面に小さな傷を入れた。補修しなければならない。馬車の幌を切り取れば、なんとか丈夫に繋がるだろう。深夜にごみ捨て場に行くと、先客がいた。小柄な男で、気弱げで、ドイツ訛りの英語を話す。服屋の弟に、なんでもいいから布地集めてこい穀潰し、と詰られ、幌を取りに来たのだという。ゲップの傷を見ると、さすが服屋の兄だけあって、切れ目などなかったかのように器用に縫い付けてくれた。

「おおきに。俺、アラマバ・ジョー」
「あたしゃ、バイエルンから来た。リーバイ・ストラウス、でさ」

ジョーはリーバイの作った幌ズボンの最初の試着者となった。またゲップも、たびたびリーバイの修繕を受け、その後、ボディの横には飾りリベットが埋め込まれた。

ちょうどそのころ、太平洋を渡った蒸気船ミシシッピ号にうまうまと密航したコレラ菌は、列島を西から東へ横断した。首都では4万人の死者を数えた。長きに亘る鎖国が解かれたその国から、カリフォルニアに旅立った使節団のなかにも、ジョーと同じような境遇の者が数知れずいた。しかし、妻の、親の、兄弟の死を悼む暇は許されなかった。通商条約の締結という急務が課せられていた。

使節団がサンフランシスコに入港したのは、2月のことだった。地元の鼓笛隊が彼らを出迎えた。耳慣れない楽器の音に、小国の一行は大いに戸惑い、タラップで立ちすくんだ。そのときである。

行進曲の整然としたリズムを突き破るように、鼓笛隊の後ろの方で、調子外れの音色が響き渡った。それは明らかに、周囲とは違う曲を演奏しているのだった。鼓笛隊は行進の足を止めた。みすぼらしい男がひとり隊列から弾き出され、小突かれながら膝をついた。

バンジョーのゲップは、ネックが折れ、そのまま小太鼓に流用されていた。人数あわせのために集められたジョーは、触れもしないのに、弦すらないのに、勝手に「おお、スザンナ」を奏でるゲップを、まじまじと眺めた。明るい演奏だった。ゲップは東洋の使節団に語りかけているようだった。泣くのじゃない、と。

使節団の長、勝海舟は呟いた。「陽気だが、どこか悲しい音だな」
「ほんのこつ」名も知れない書記が深く頷いた。

ジョーとゲップのその後は、杳として知れない。

翌年、南北戦争が勃発し、3年後に、作曲家スティーブン・フォスターが没した。さらにその翌年、南北戦争が終結すると、リンカーンが死んだ。

─いしいしんじ「オールド・ブラック・フォスター」(短編集 『白の鳥と黒の鳥』 所収)より

●この話はフィクションです。
| schazzie | [情]New Orleans | 00:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
ニューオーリンズを食す
ガンボスープ Gumbo Soup
数あるニューオーリンズ料理の中でもお薦めナンバーワン。スパイスをたっぷり使った、どろりとした濃いスープ。西アフリカの料理がベースになっているといわれる。ガンボとは西アフリカのある地方の言葉でオクラのこと。具はシュリンプ、カキ、ソーセージ、チキンなど店によってさまざまだが、オクラは必ず入れる。ルイジアナ米にかけたり、米を一緒に煮込んであったりする。

ジャンバラヤ Jambalaya
ルイジアナ風の炊き込みご飯。昔、この地方を支配していたスペインの名物料理パエリアによく似ているが、高価なサフランは使わず、トマト、オニオン、スパイスをベースにしてライスを炊き込む。具はシーフード、肉、野菜など何でもいいが、ソーセージや鶏肉をよく使う。スパイスの調合によって色、香り、辛さはさまざま。

アンドゥイエ Andouille
いなか風スモークドポークソーセージ。ガンボ、ジャンバラヤなどいろいろな料理に使われ、コクと旨味のもとになる。かなり塩辛いものが多いが、ニューオーリンズ料理にはなくてはならない存在。

クロウフィッシュ Crawfish
ザリガニ。Crayfish とつづることもある。11〜7月がシーズン。世界のザリガニの95%がルイジアナで消費されているとか。香辛料と一緒にゆでると実に見事に赤くなる。頭を取り尻尾をねじると殻が取れるので、レモンを絞ってかぶりつく。

クロウフィッシュ・エトゥフェ Crawfish Etouffe
ザリガニを蒸してトマトとスパイスで煮込んだシチュー。蒸したルイジアナ米にかけて食べる。

ビスク Bisque
魚介類のルウをベースにした、とてもリッチなザリガニのスープ。ニューオーリンズ版ブイヤベースといったところ。季節によって具はカキやシュリンプになる。

シュリンプ・クレオール Shrinmp Creole
小エビがたっぷり入ったスパイシーなソース。タマネギとガーリックをベースにしたリッチな味で、ご飯にかけて食べる。必ずピーマンを入れるのが特徴。

レッドビーンズ&ライス Red Beans & Rice
ブラジル料理のフェジョアーダによく似たルイジアナの家庭料理。豚肉、タマネギ、インゲン豆などを煮込んだソースをご飯にかけて食べる。ニューオーリンズでは毎週月曜日の夜にレッドビーンズ&ライスを食べる習慣があった。週末にたまった洗濯や掃除をしている間に、鍋の中でぐつぐつと煮えてしまうからだとか。いまでも月曜日だけこのメニューを出す店が多い。

キャットフィッシュ Catfish
猫みたいな長いヒゲがある、ナマズ。南部では大変ポピュラーな食材で、3枚に下ろしたナマズにコーンミール(トウモロコシの粉)をまぶして揚げることが多い。これをポテトと一緒に食べたり、サンドイッチに挟んだりする。味は淡白。

オイスター・オン・ザ・シェル Oyster on the Shell
ニューオーリンズのカキは、まったりとしたミルクのような濃い味。一年中食べられるが、やはり冬のほうがおいしい。

オイスター・ロックフェラー Oyster Rockfeller
カキの上にほうれん草のピューレとバターをかけてオーブンで焼いたもの。石油王ロックフェラーに負けないくらいリッチ(な味)という意味で名付けられた。どこのレストランでも食べられるが、元祖アントワンズ Antoine's の味にはかなわない。

オイスター・ビエンビル Oyster Bienville
クリームソース、マッシュルーム、チーズなどをかけてオーブンで焼いた、いわばカキのブラタン。アントワンズが元祖。

ポーボーイ Po-Boys
他の都市でサブマリン、またはヒーローと呼ばれるバゲットサンドのこと。フランスパンに切れ目を入れ、カキフライやキャットフィッシュ(ナマズ)を挟むのがニューオーリンズ流。

グリッツ Grits
あら挽きトウモロコシを柔らかく煮込んだおかゆ。どろりとしたなかにプチプチとした食感がある。ソーセージやベーコン、卵などを一緒に朝食に出される。グリッツの素を買えば、水で煮込むだけで家庭で簡単に作れる。

ビスケット Biscuit
トウモロコシの粉で焼いたパンの一種で、スコーンに似ている。ケンタッキーフライドチキンのサイドメニューでおなじみの味だ。

バナナフォスター Bananas Foster
ブレナンズ Brennan's が始めて、いまや全米に広まった、シンプルかつおしゃれなデザート。バナナにシナモンをかけてバターでソテーし、コニャックでフランベしたもの。アイスクリームを添えて溶けかかったところを食べるのがおいしい。

ベニエ Beignet
フランス語で揚げ物の意。ニューオーリンズでは穴のあいていない四角いドーナツのことをいう。フワっとしていてサクっと軽い口あたり(※カフェ・デュ・モンドのベニエは、さらにモチモチ感があっておいしい)。生地には甘みがないので、粉砂糖をたっぷり振りかける。

ブレッド・プディング Bread Pudding
パンとレーズンをバニラの香りのカスタードソースに浸してオーブンで焼き、ラム酒の甘いソースをかけて食べる。ボリュームもある。

ピーカンパイ Pecan Pie
ピーカン Pecans(オニグルミ)はアメリカ南部原産のクルミの仲間で、渋みが少ないのが特徴。アメリカではこのピーカンを使った菓子はことごとく甘い。特にピーカンパイは甘く甘くあまーく作らねばならないのだそうで、ピーカンと聞いただけで中年のおじさんまでが「ンンーッ!」なんて舌なめずりする姿は、アメリカでなくてはちょっと見られない。

プラリーヌ Pralines
ピーカンと砂糖をバターで煮詰めた丸い板状のキャンディ。うんと甘いのだが、まだ足りないらしくマシュマロ入りや生クリーム入り、ラム酒入り、チュコレートコーティングしたプラリーヌもある。

ディープ・フライドチキン Deep Fried Chicken
長時間(30〜40分)かけてじっくりと揚げるのが特徴のフライドチキン。

バーベキューリブ BBQ Rib
甘辛いソースをつけてグリルしたポークリブ。メンフィス名物として知られる。

ハッシュパピー Hush Puppies
トウモロコシの粉をマルク固めて揚げたコロッケのようなもの。メインディッシュの付け合わせに出される。

フライド・グリーン・トマト Fried Green Tomato
まだ青くて硬いトマトにコーンミールをまぶして揚げたもので、ジョージアの名物。同じく、コーンミールを衣にして野菜を揚げた料理は、フライドオクラ、フライドピクルス、フライドズッキーニなど南部各地に見られる。

ハリケーン・カクテル Hurricane Cocktail
チェリーピンクの色鮮やかなラム&パッションフルーツのパンチ。がんぞと言われるレストラン、パット・オブライエンズ Pat O'Brien(プリザベーション・ホールの隣)のほかにも、町のあちこちで特製カップで売られており、特に夜のバーボン通りはハリケーン片手にうろつく人でいっぱい。かなり甘いカクテルだが、名前のとおり強いお酒なので飲みすぎに注意。
※おみやげとして、「ハリケーン・カクテルミックス」なるものが売っていて、ラムを加えれば、家庭でもハリケーンが飲める。

カフェ・ブリュロ Cafe Brulot
シナモン、クローブ、オレンジピールなどのスパイスを入れ、ブランデーでフランベしたコーヒー。専用の器を小さなランプで温めながら飲む。アフターディナーにロマンティックに楽しむものなので、カフェにはない。


─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 18:15 | comments(0) | trackbacks(0) |
アイアンレース
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フレンチクオーター内の見事なアイアンレースの建物
| schazzie | [情]New Orleans | 17:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
ミシシッピを蒸気船で旅する
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かつてミシシッピ川流域の交通の中心であった蒸気船が、現在でもまだ現役でこの大河を行き交っている。船旅は時間もかかるし、流域の港町にしか行けないなどの制約も多いが、船ならではの魅力もある。ゆとりの多さと優雅さが人気の秘密。ジャズなどのライブショーも楽しみだ。

ミシシッピ川を航行する蒸気船は、 Delta Queen、American Queen、Mississippi Queen の3隻が就航している。特に Delta Queen は1927年に建造された、アメリカの蒸気外輪船で現役最年長。これらの船は周遊クルーズのほか、ニューオーリンズとメンフィスなどの都市を結んでいる。ニューオーリンズ─メンフィス間は5〜7泊という長期クルーズになる。

The Delta Queen Steamboat Co.
Robin Street Whart, 1380 Port of New Orleans Pl., New Orleans, LA 70130
(504)585-1949
URL: http://www.deltaqueen.com

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 16:56 | comments(0) | - |
アンドリュー・ジャクソン
Andrew Jackson

庶民から出た初めての大統領として知られる第7代合衆国大統領ジャクソン(在任1829〜1837)は、ニューオーリンズをイギリスから守った英雄だ。ひょろりとした長身に白い髪、長い眉毛、飾り気のないざっくばらんな性格で大衆から愛され、20ドル紙幣の肖像にもなっている。


そのサクセスストーリー
ジャクソンは、サウスカロライナの貧しいアイルランド移民の家に育ち、まともに学校へ行ったことはないという。弱冠13歳でアメリカ独立戦争に参加して負傷。ふたりの兄も戦死して、孤児となる。

やがて独学で弁護士になり、検事、テネシー州上院議員、裁判官などを歴任した。45歳のときにイギリスと戦争が始まると再び従軍。1815年のニューオーリンズ戦争で大勝利を収め、指揮を執った彼の名は一気に全国に知れ渡った。

これをきっかけに再び政界入りをしたジャクソンは1828年、ついに大統領の座を射止める。

大統領就任当初から彼は大衆にとても人気があった。あけっぴろげな性格そのままにホワイトハウス内を開放し、就任式の見物を終えた市民がどっとなだれ込んで収拾がつかなくなったというエピソードもある。

常に庶民と触れ合い、その声に耳を傾けることを大切にした。後にジャクソニアン・デモクラシーと呼ばれる時代の幕開けである。


典型的なアメリカン・ヒーロー
ジャクソンは酒ろギャンブルが好きで、超タカ派。ニューオーリンズ戦争のほかにも数々の武勇伝を残している。ニューオーリンズのジャクソン広場をはじめとして南部各地にジャクソン・・・と付く地名が多いのはこのためだ。丸太小屋で生まれ、独学で知識と技術を身につけ、武勇の誉れ高く、商才にも恵まれ、金持ちの娘と結婚し、大統領になっても気取らない・・・彼は、アメリカ人好みの英雄の条件をすべて満たしているのだ。


白人のための民主主義
大統領になってからのジャクソンは圧倒的な人気をバックに内政、外交両面で強力なリーダーシップを発揮。労働者の待遇改善や公立学校の普及などの政策を推し進めていったが、なかにはとんでもなく強引なものもあった。

特に忘れてならないのが先住民に対する政策だ。各地で白人入植者との争いが絶えなかった先住民を、すべてミシシッピ川より西に移動させるのが「人道的かつ平和的な解決策」として、先住民強制移住法を制定。これに応じなかったフロリダのセミノール族との間でセミノール戦争が起こり、双方に多大な犠牲者が出た。

またオクラホマに追い立てられたチェロキー族が、寒さと飢えによって4000人も犠牲になった涙のトレイル(※)の悲劇もよく知られている。

彼はまた、黒人奴隷に対する弾圧も厳しかった。一部の黒人は耐えかねて先住民居留地に逃げ込み、セミノール戦争を先住民とともに戦ったと言われる。

ジャクソンのこのような政策は、プランテーションを広げるために土地が欲しかった南部の圧力によるものだが、彼自身の白人優越意識もまた否定できない(ジャクソンも農園主であった)。


ニューオーリンズ戦争
ニューオーリンズ戦争は、1812年から足かけ3年にわたる米英戦争のエピローグである。1815年1月8日、ジャクソン率いるアメリカ軍はニューオーリンズの南に2重3重の防衛線を張り、港から侵入してきたイギリス軍を見事に撃退。このときの死傷者はイギリス側が3326名、アメリカ側はわずか52名という快挙で、ジャクソンは一夜にして南部の英雄となった。

ところがこの米英戦争、実は2週間も前に終わっていた。通信手段が発達していなかった頃のことで、終戦の報が届くのが間に合わなかったのだ。


オーケー!!
「OK」の語源について、All Correct を Oll Korrect と発音どおりにつづり、略したものではないかという説がある。南部のいなか者で、ろくに学校に行かなかったジャクソン大統領が、スペルを間違えたのが始まりだという。また一説では、ジャクソンの跡を継いで大統領に就任したバン・ビューレンの支持母体 Old Kinderhook Club が語源だともいわれる。いずれにしてもこの時代のアメリカで生まれた言葉なのは確かなようだ。


涙のトレイル
ナッチェス・トレース・パークウェイは、コルバートフェリーの北でデネシー川を渡るとすぐ、アラバマ地方道14号線と交差する。この道が、かつて先住民がミシシッピ川より西へ強制移住させられた際、おもにチェロキー族が通った「涙のトレイル」だ。

1838年、ほとんど着の身着のまま追い出され、食料もろくになくテネシー川を下っていた一行は、干ばつで川の水位が下がってボートが航行できなくなったため、テネシー州チャタヌーガからアラバマ州ウォータールーまでを歩かされることになった。このとき、寒さと飢えで多くの先住民が途中で息絶えたのだ。一連の移住によって、約1万7000人のチェロキー族のうち約4000人が犠牲になったといわれる。

現在このトレイルでは、毎年1回、全国から約9万人のライダーが集まって、チャタヌーガからウォータールーまでを走り抜けるメモリアルライドを行っている。


─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 04:15 | comments(0) | trackbacks(1) |
ケイジャン&ザイデコ
フレンチクオーターを歩いていると、あちこちの店からアコーディオンを中心にした軽快な音楽が聞こえてくる。

かつてカナダからやってきたフランス系住民は自らをアケーディアン Acadian と呼んだが、それが転じてケイジャンとなった。彼らが持ち込んだ文化や料理にケイジャンの名が付けられたが、音楽もそのひとつ。アコーディオンとフィドル(バイオリン)、そしてブリキの洗濯板を首からつるしスプーンでこすってリズムを取るのが原形になったラブボードという楽器を使った音楽が、ケイジャン音楽 Cajun Music と呼ばれた。音楽自体はアイリッシュやカントリーなどの影響を受けており、現在のスタイルはカントリーに近い。

そのケイジャン音楽に、ブルースやR&B、そしてカリブ音楽といった黒人音楽の要素が加わって発展したのがザイデコ Zydeco(発音はズェコウに近い)だ。バンドの中心はアコーディオンとラブボード。警戒でダンサフルなものが多いが、ブルースっぽいものや、なかにはカントリーに近い歌もある。

ザイデコ興隆期の大物にはクリフトン・シェニエ Clifton Chenier やロッキン・ドプシー Rockin' Dopsie らがいる。1990年代初めにバックフィート・ザイデコ Buckwheet Zydeco というミュージシャンのCDが日本で発売されたが(エリック・クラプトンも参加していた)、ほかはごく一部が輸入盤で入手できる程度だ。

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 03:17 | comments(0) | trackbacks(0) |
アケーディアンの歴史
彼らの祖先が最初に新大陸に渡ったのは1604年、有名なピルグリム・ファーザースに先立つこと16年のことだ。当時のフランスは、いわゆるアンシャン・レジームの時代。強固な身分制度のために下層の農民たちは苦しい生活を強いられていた。そんな本国を飛び出した彼らは、到達した土地をル・アカディー L'Acadie と呼んだ。これは、ギリシア神話のなかに出てくるパラダイスの名から来ている。そして、その住人という意味で、自分たちをアケーディアン Acadien と称したわけだ。

しかし、そこがパラダイスであった時期は長くは続かなかった。現在ではカナダのノバスコシア(ニュースコットランドの意味)にあたる地方は、その名の示すとおり、その後イギリスの植民地となる。1730年ごろからイギリスの締め付けが厳しくなった。英語を話し、イギリス国教会を侵攻する支配者のもと、フランス語でカトリックのアケーディアンたちは歓迎されざる存在だったわけだ。そして1755年、英仏戦争のあおりを受け、約6000人のアケーディアンが海外へと追放された。家族は引き離され、半数以上が命を落とした。ある者はフランス本国へ帰った。しかし、言葉や習慣が少しずつ変化していた彼らは、もはやフランス人ではなくアケーディアンだった。本国でも受け入れられなかった彼らは、新大陸に引き返すことになる。一方、ノバスコシアに残った者たちは、翌春イギリス人に虐殺されてしまった。こうして、ノバスコシアのアケーディアンは、1758年までにほとんど消滅してしまった。

生き残ったアケーディアンが流浪の末にたどり着いたのは、ルイジアナだった。1764年当時のルイジアナはスペイン領だったが、スペインの植民地経営は緩やかなもので、ノバスコシアで漁をしていた者も多かったアケーディアンは、漁師としてこの地に入っていった。そしてこの土地をアカディアーナと呼ぶようになる。ル・アカディアーナの佳き日々は子孫代々語り継がれ、苦しいときでも彼らの心のよりどころとなっている。

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 01:33 | comments(0) | trackbacks(0) |
クレオール料理&ケイジャン料理
ニューオーリンズ料理とひとことでいっても、それにはクレオール風とケイジャン風がある。フランスやスペインの流れをくむクレオール Creole は植民地時代の支配階級の料理で、どちらかといえば都会的で洗練された味。バターやベーコンをいためたルウをベースに、スパイスをたっぷり使う。

一方、カナダ東部のアケーディア地方からミシシッピを下ってきたフランス系移民アケーディアン Acadian (なまってケイジャン Cajun になった)は、労働者の料理。野性味のある素朴な味といわれる。小麦粉とオイルを煮詰めたブラウンソースがベースになる。スパイスやハーブは高価だったため、トウガラシを多く使ってホットに仕上げる。

とはいえ、今日ではこのふたつは明確な区別はされていない。クレオールレストラン、ケイジャンレストランというのも、味というよりもむしろ前者は上品は、後者は庶民的なというニュアンスで呼ばれているようだ。両方をミックスしてニューオーリンズ料理、ルイジアナ料理と呼ぶ。

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 01:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
マルディグラ
Mardi Gras

カトリック教徒は、キリストの復活を祝うイースターの前に、キリストが40日間断食修行をしたことに倣って肉食を断つレント(四旬節)という習慣がある。このレントに先立ってドンチャン騒ぎしようというのがカーニバル(謝肉祭)で、最終日がマルディグラ(告解火曜日)だ。マルディグラとは、フランス語で“肉食の火曜日 Fat Tuesday”の意。ただし、あまりのはしゃぎぶりに教会は渋い顔。いまでは宗教色の薄いお祭りになっている。

パレードは、1699年にフランス人探検家がミシシッピ河口にたどり着いたのがちょうどマルディグラの日だったため、これを祝う意味も含めて1837年に仮装行列を行ったのが始まり。

正式なカーニバル期間は1月6日からだが、本格的なパレードはマルディグラの11日前の週末から。とにかくすごい人出、すごい騒ぎ。群集の後ろから見物するための特製のイスも売っている。

パレードには歯医者、美術学校、ビジネスマンなど約60の団体がクルー Krewe (グループ)を作って参加する。パレードの華、フロート(山車)はどれも巨大で、高さは家の3階に達する。その上から金、緑、紫の3色ビーズのネックレスや、ダブルーン doubloons と呼ばれるコインが見物客に投げられる。おもちゃやプラスティックのカップも飛んでくる。もしもコインをキャッチできると幸運が訪れるといわれており、これ欲しさに皆「Mister!」と声を限りに叫ぶ。コインはおみやげとしても人気があり、クルーのロゴが入っているのでプレミアも付くほど。

また先住民のパレードも毎年注目の的だ。彼らは、白人が入植するまで長い間ルイジアナに住んでいた人々の末裔で、黒人との混血らしき顔立ちの人が多い。鳥の羽根を使った巨大な飾りをかぶり、凝ったコスチュームで観客の目を楽しませてくれる。

パレードはCBDを中心に早朝から深夜まで続く。いくつかのパレードがキャナル通りまでくるが、フレンチクオーターの中には入らない。次官とルートは新聞などに発表される。パレード中は交通規制が行われ、セントチャールズ通りのパレードだと市電もストップする。

マルディグラ・デイ3日前からは混雑がひどく、ホテルもレストランも満杯。部屋の予約は1年前でも早すぎない。料金は通常の2倍以上で、3泊以上などの条件も付く。

パレードはマルディグラ・デイ当日に最高潮に達し、セントチャールズ通り沿道には見物用のやぐらも組まれる。『King Zulu』という黒人グループのフロートで始まり、『Rex』のフロートが最後を飾る。このキングは経済界の大物から、クイーンは社交界デビューしたばかりの女性から選ばれる。1949年のキングはルイ・アームストロングだったという。

ちなみに、マルディグラ翌日は“灰の水曜日 Ash Wednesday”と呼ばれ、レントが始まるわけだが、マルディグラで大騒ぎをした人々が皆、禁欲生活に入るかどうかは疑わしい。

また、マルディグラ期間中は仮面舞踏会も各所で行われる。プライベートな集会なので観光客が参加できる機会はほとんどないが、ナイトクラブやバーへ行けば、着飾った男女の姿を目にすることができるだろう。

─(『アメリカ南部〈2004~2005年版〉』/「地球の歩き方」編集室より)
| schazzie | [情]New Orleans | 01:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
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※ブログ内の記事の一部は、上記の本のほか、講談社刊『クロニック世界全史』、地球の歩き方『アメリカ』を参考・引用させていただいています。




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